ゴダールは51年間、いったい何をやってきたのか
1954年にゴダールは第1作目の映画を撮りましたから、今年まで51年間、映画を撮り続けていることになります。54年の映画は『コンクリート作戦』というごく短いものですが、59年には長編第1作『勝手にしやがれ』を撮る。それから数えても45年間、彼はひたすら映画を撮り続けている。では、その間、彼は何をしていたのだろうか。そんなことは、とても一言では言えません。しかし、それではゴダール的な答えにはならない。ゴダールはたえず複雑なことを単純化し、あえて一言で言い切ってしまう人だからです。そこで、彼にならい、51年間ゴダールが何をしていたかを、私も一言で言い切ってしまおうと思います。そのために、ゴダールを模したこの赤いマフラーをして舞台に立てと劇場の方から言われましたので(笑)、どうか「戦闘マフラー」というふうにお考えください。
ゴダールは、いったい51年間何をやってきたのか。彼はたえず二つのことを同時にやりたいと思い、そのことに絶えず失敗し続けていた。それが私の見たゴダールだということです。それは、まずゴダールの国籍にあらわれています。ゴダールはフランスの国籍を持っており、同時にスイスの国籍も持っている。そして二つのパスポートをたくみに使い分け、兵役を逃れるわけです。フランスで兵役に就かなければならないときにはスイスに行き、スイスで兵役に就かなければならないときにはフランス、あるいは外国に行くという形でたえず二つのものを同時に自分のものとみなしていく。ゴダールはたえず二つのものでありたいと思っており、これは彼の強みに弱みにもなってくるわけです。そんな形でゴダールはついにこの『アワーミュージック』という映画を撮ってしまいましたが、まだご覧になっておられない方は、ネタばれもやってしまいますので、どうぞその点お許しいただきたいと思います。
今、この劇場で平行して上映されているゴダールの短編があります。『パリところどころ』という映画の一編『モンパルナスとルバロア』がそれですが、そこで扱われている題材は「二人の恋人を持ちたいと思っている女性」の話です。ジョアンナ・シムカスが演じていますけど、それぞれの相手のところに間違えて手紙を投函してしまったと勘違いする女の話ですが、ゴダール自身にも、つねに二つのものを同時に持ちたいという欲望があります。彼は批評家時代には、自分は映画作家だと思って批評を書いていた。彼は何度もインタビューの中でそう言っています。批評を書いていた時に、自分は既に映画作家のつもりだった、と。「それは嘘だ」と我々は言いたいわけですが、彼はそのつもりで書いていたわけです。しばらくして映画を撮り始めると、こんどは自らを芸術批評家だと思って撮ることになります。多くの作家からの引用や参照からなる彼の映画は、批評によく似ています。フランスの出版事情からして、芸術批評家であればどこの本屋から本を出さなければいけないかということがあり、ゴダールもそれは知っており、ガリマールという本屋から本を出すために、『映画史』という作品を撮り、それを本にしてガリマールから出版する。ガリマールというのは日本で言うと若干色合いは違いますが、岩波書店と思っていただければよいと思います。彼は『映画史』という映画を撮っている時は、明らかに自分は芸術批評家だと思っているのです。芸術批評家であると同時に自分は映画作家であるという二つのものを同時に生きなければならないという、夢といいますか、彼の場合はそれを両方とも実現してしまっていますので夢とは言えないわけですが、そのような立場にある。
そのような形でゴダールの作品を見ていきますと、そこには誇張もあり、また現実に合わないようなことがあるかもしれませんが、「同時に二つのものであろうとし、そしてそのことに失敗したり、成功したりしていたのがゴダールだ」と言えると思います。では、それがはたして我々をいつでも満足させてくれるようなものであったかというと、ここから問題になってくる。ところで、「同時に二つのものであろうとして、それに成功したり失敗したりするというゴダール」を、別の言葉でどのように定義することができるのか。彼は「曖昧」な存在だ、アンビギュアスな存在だとひとまずいえると思います。「国籍はどこか?」と聞くと「スイス人でもあり、フランス人でもある」と答えるような自己同一性の曖昧さがゴダールの中にはたえず認められます。生まれ育った環境を見れば、彼自身は大ブルジョアの出身ですけれども、しかし同時に自分が労働者でなければ気が済まないという贅沢な人間なのです。レマン湖の畔に巨大な別荘を持っていた銀行家の孫でありながら、彼はいきなり毛沢東主義者になったりもするのですが、これを笑ってはいけない。つい笑ってしまいますけれども、本物の大ブルジョアだから毛沢東主義者になれるのでしょう。では、六〇年代の後半から七〇年代にかけて「毛主席、万歳」などと平気で言っていたような映画作家が、八〇年代に入ると、どうしてあんな豪華なホテルに作品の舞台を設定するのか。そういう曖昧な二重性が、絶えずゴダールには憑きまとっているわけです。
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