私を泣かしたからにはゴダールを許さない
司会 本日は『愛の世紀』アンコール上映にお越しいただき、ありがとうございます。これから『アワーミュージック』を観ていただける方もいらっしゃると思いますが、今から今日のゲストをお迎えしたいと思います。蓮實重彦さんと青山真治監督です。この2本の映画の間に二人のお話が聞けるという特別な機会を設けさせていただきました。宜しくお願いいたします。
青山 青山でございます。どうも。
蓮實 蓮實でございます。今日こうして青山さんとゴダールの悪口を言いあえるのは非常に嬉しく思っております。
青山 悪口でいきますね?
蓮實 はい。
青山 悪口でいきましょう(笑)。しかし、いま『愛の世紀』の最後の音楽を聞いていて、この映画を最初に見たときに泣かされてしまったんですね。自分が映画作家だからなのかもしれませんが、この最後には泣かされました。世の中には内容によって泣かされたから映画的興奮なしでも許すという映画が存在し、また同時に映画的興奮だけで内容については許せないというものも存在するんですが、僕にとってゴダールはしばしば後者だったわけです。ところがこの映画ではとうとう内容によって泣かされてしまったわけです。そんなわけで、この作品を前に悪口というのは簡単には言いづらいんですけど。
蓮實 なおかつ悪口を言わなければいけないというのが我々のスタンスであってですね。
青山 そうですね。
蓮實 私も『愛の世紀』は、途中の黒白画面の画商が出てくるあたりから滂沱の涙なんですね。
青山 はい、はい。
蓮實 『愛の世紀』は、実はあまり世界各地でも正確に受け止められていないところがある映画です。私一人が唯一この映画を理解したと主張する気は全くないのですが、しかし、あのローゼンタールなるじいさんがでてきて、あのエドガーという若者に何かを作らせてやりたいなどということをどうも本気で考えており、しかも、あの青年のお母さんに「実は私は惚れていた」などということを言い始めたりすると、もうダメで滂沱の涙なんです。だから、私を泣かしたからにはゴダールは許さないと。
青山 そういう方向に行きますか。なるほど。しかし、となるとゴダールを許さない我々としてはどういう具合に行動するべきなんでしょうね。
蓮實 やはり彼の映画を何度も観てやる以外にない。
青山 それがやはり彼にとって罰になるわけですね。
蓮實 やっぱり、日本でフランス以上にたくさんの観客を動員するしかない。それが、唯一の彼に対する罰だと。
青山 なるほど。彼は常に孤立しよう、しようとしているわけですよね。どんな場に身をおいても必ず孤立する方向へ積極的に自分を持っていこうとする、一種の、何でしょう、……裏返しというか、マゾヒズムなのか。
蓮實 贅沢ですよ。
青山 贅沢なんですかね。
蓮實 ブルジョワジーの贅沢以外のなにものでもないと思います。
青山 孤独であることが贅沢となることが、彼にとって今必要なんですかね。ずっとそうなんですかね、あの人は。
蓮實 それが彼の唯一の自己同一性の主張だと捉えていたと思います。彼は最近、時々「私には仲間はいない」とかなんとか言いますけれど、いれば彼は排除すると思います。
青山 常にそれをやってきたわけですよね。
蓮實 その点、私は、彼はやはりこの世界には生かしがたい存在だという気持ちを非常に強く持っておりまして、そのためには観てやらなければいけないと、これもいささかマゾヒズム的な…
青山 そうですね。
1>2>3>4>5
|